トリハダを探して

テレビ、ラジオ。トリハダの端書

ヴィヴィアン・マイヤーを探して

ヴィヴィアン・マイヤーを探して に対する画像結果

何ともいえない顔をしている。道ですれ違っても二度見はしないが、どことなく美しいような、そうじゃないような。事実、彼女は単なる一般人として生き、そして死んだ。宮沢賢治ゴッホのように、亡くなってから彼女のとった膨大なフィルムが見つかり、段々と写真家として評価されてきている。

よくテレ東プロデューサーの佐久間さんのTwitterから見たい作品を探すのだが、これもその一つ。Netflixで鑑賞しようと検索するとすでにマイリストに入れてあった。やはり魅かれる顔をしているのだ。個人差はあるだろうけど。

その写真を見るためだけでも映画を見る価値はあると思う。子どもや貧困者、労働者の姿が生き生きと写真に収まっている。映画の中でも語られていたが「写真とは、その人のことをどれだけ理解しているのか」である。自分の身の回りでも起こっているようなものが写真に写っている。それを作品にできる彼女と、できない自分の差にがっかりしてしまう。と同時に、今まで彼女の写真が注目を浴びなかったことに、つくづく大衆の目は評価に踊らされていると思う。

以前、古びた港町の居酒屋で、酔っ払った古本屋を営む知り合いが熱弁していた「何を言うかじゃなくて、誰が言うか」という言葉を思い出す。それを笑う周りの人に「ほらみろ、これをおしゃれな経済誌とかで教養ある文化人がいうとそれっぽく君らはうなづくんだよ」と言っていた。こんなぐつぐつの牛なべを前にして過激派だなと、一人厚揚げを食べながら思ったが、確かにそうかもしれないな。